三休橋筋の北端付近に、昭和初期に建てられた長屋が5軒残る一角があります。その1軒が理髪店「吉田理容所」です。父・三吾さんが開業し、高級理容店として企業のトップや老舗店の経営者、人間国宝など、そうそうたる人びとに愛されてきました。玄関まわりやタイル張りの外壁、店内で目を引く5枚の大きなドイツ製の鏡は開業当時からのもので、その雰囲気を今に伝えています。吉田金吾さんは二代目店主として、お父さんから受け継いだこのお店の歴史を、笑顔でお客さんに語ります。

「吉田理容所ができるまで」
5枚のドイツ製鏡とともに創業

吉田理容所は、1930(昭和5)年に三休橋筋沿いに建てられた長屋の1軒にて、私の父が同年の8月13日に開業しました。もとは住宅のため鏡を設置すると圧迫感があるので、天井高を上げるなどの大がかりな改装工事を5ヵ月かけておこないました。
鏡は縦180cm、横90cmもの大きさで、当時の日本では製造する技術がなく、ドイツから船便で運んできたそうです。人の顔色がいちばん良く映るように厚みが調整されていて、さらに、大きな鏡をより引き立たせるために、日本で面取りをおこないました。面取りは手作業のため、「1寸何円」というお金がかかったそうです。枠はサクラ材を用いた日本製で、当時の大卒初任給より高価だったと聞いています。

「吉田理容所の経営方針」
大阪一のいい店にしたい

船場という歴史ある場所で開業した父は、「大阪一のいい店にしたい」と考え、散髪代を1円に設定しました。一般的な散髪屋で25銭から30銭、高級店でも50銭という時代。相当高額な料金でした。それは、「立派なお客様に来て頂きたい」「一見さんはお断り」という理由から。若い一見客には「あなたのような若いお方が来る店ではありませんよ」とお断りしていたそうです。他のお店とは違ってチラシも配らない、すべて紹介客という方針でした。その甲斐あって、常連客には、歌舞伎や文楽の人間国宝の方々をはじめ、船場界隈の老舗高級料亭や有名レストランの経営者、名だたる企業トップの方々がいらっしゃいました。私の代になっても通われている方がおられます。
今は、ほかのお店とほとんど変わらない料金で、ご予約優先ですが一見さんでも承っていますよ。

「二代目、吉田金吾さんのこと」
受け継がれる仕事と思い

私は神路町(大阪市東成区)で生まれ、小学校1年生のときから31歳で結婚するまで、ここの2階に住んでいました。小学校は愛日小学校に通い、家に帰ったあとは中之島公園に遊びに行ったり、淀屋橋にあった第一勧業銀行の前で鬼ごっこをしたりしたのを覚えています。中学は船場中学校。中学・高校とアイビールックにはまり、北浜にあった三越のVANショップに入り浸っていました。
高校を卒業して、家業を継ぐため理容学校へ。父から「社会勉強をしてこい」と、東京のホテルオークラにある「理容米倉」で2年間修行したのち、吉田理容所で父とともに働くことになりました。多いときは6人で働いていた時代もありましたが、現在は息子と2人でやっています。
バブル期には、この長屋でも土地を売って出ていかれた家が何軒かありました。しかし、父と母からは「ここは何があっても売るな」と口酸っぱく言われていたので、この場所で続けることを当たり前のように思っています。

あるとき、常連のお客さんが、「今度取材してもいい?」と雑誌に取材いただくことがありました。『B-ing』『ブルータス』『太陽』など数多くの雑誌に掲載いただき、NHKにも4回、「探偵ナイトスクープ」にも3回出演しております。いろいろな方々が、私たちの仕事を認めてくださるのは、とてもうれしいです。

「三休橋筋の未来」
鏡が映す老舗店の歴史

この周辺が活気のある銀行と証券会社のまちであったころ。お昼どきに外へ出ると、人が多すぎてまっすぐに歩けないほどだったのを強烈に覚えています。最近ではホテルやマンションが建設され、観光客や新しく住まれる方がやって来るようになり、まちの変化を実感しています。
かつてを思うと少し寂しい気持ちもありますが、ガス燈のある通りになって、雰囲気がとてもよくなりました。まちを散策する人が増えて、店の前でスケッチをしている人もときどき見かけます。そのおひとりが店内も見たいと入ってこられたときに「よくスケッチをされている方を見かけますが、完成した絵を見たことがないんですよ」とお話ししたところ、後日出来上がった絵を持ってきてくれたんです。とてもうれしくて、額に入れて飾っています。

「三代・百年続けて初めて老舗と言える」と聞いたことがあります。息子が三代目として店を継いでくれることになりましたので、もう少し頑張りたいと思っています。まちを散策する人には、外から眺めるだけでは気の毒なので、「多くの有名人が映り込んだ鏡に、ぜひあなたもしっかり映り込んでいってください」と店内にご案内しています。三休橋筋のまちづくり活動には、これからもできる限り協力したいと思っていますよ!

スケッチをしていた人からいただいた作品

「吉田理容所」さん(GoogleMapへ