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画像大阪日日新聞 2015年3月15日
三休橋筋ガス灯 民間で点灯継続へ

官民が連携してガス灯のあるレトロな街並みを創出した中央区の三休橋筋。ガス灯の運営費を市と民間が半額ずつ負担する形で昨年6月に点灯をスタートしたが、市からの補助は2年間で、自力での運営を目指す三休橋筋商業協同組合は経費捻出の仕組み作りを急いでいる。
一方で、歴史を生かしたまちづくりは周辺地域にも広がりを見せている。
「歴史を感じる建物があって、雰囲気がいい。ロマンチックですね」。鶴見区の女性(46)はガス灯に照らされた街並みを見上げた。土佐堀通りから中央大通りまでの約1・1キロには55基のガス灯が並ぶ。
■残り1年
地元企業・団体の寄付により、三休橋筋にガス灯が設置されたのは約10年前。当初から燃料代と維持費の捻出がネックだったが、街の活性化に取り組む三休橋筋商業協同組合が昨年6月、全点灯を実現した。費用の半額を市からの補助金で賄い、残りはガス灯に社名入りの旗状(バナー)広告を掲示する方法で地元企業から協賛金を得て運用している。2015年度も市による補助とバナー広告は継続されるが、16年度以降の補助の有無は未定。同組合事務局は「(補助金のある)残された1年が勝負。『みんなで点灯し続けよう』とならなければ」と、民間の意識醸成に励む。
 レトロな近代建築が点在する通りには、オフィスや今風な飲食店も目立つ。通り沿いにカフェなど4店舗を展開する「モアイ」(中央区)の井上哲朗社長(62)は、ガス灯の効果について「街の雰囲気が良くなった」と評価する。

 同組合の理事としてまちづくりにも取り組む井上社長は「蛍光灯が目立たないようオフィスの窓を隠したり、コンビニエンスストアの照明を暗くしてもらうなどの理解が必要。通り全体のお客さんが増えるようにしなければ」と訴える。

■広がる成果
 成果は周辺にも波及しつつある。市は03~10年度で三休橋筋の電線地中化や歩道の美装化を進め、それに地元が応じる形でガス灯を点灯し、まちづくりが活発化した。市はさらに周囲に点在する近代建築を観光資源として活用しようと、新たに道路整備の範囲を拡大。日本生命本館・適塾周辺▽芝川ビル周辺▽三井住友銀行・大阪倶楽部・今橋ビル周辺-の船場地区3エリア(道路延長約1・3キロ)を選定し、15年度から道路の無電柱化や美装化に乗り出す。

 船場の「元気づくり」に取り組んできた大阪府立大特別教授の橋爪紳也氏は、ガス灯の運営費について「民間で財源を確保しながら点灯を継続することが地域の価値の向上になる。住民や店舗の人が意識を共有しなければならない」と指摘。「船場全体で歴史を生かした景観創出を続けることで、ガス灯の存在意義も持続的に評価されるのでは」と話している。



画像船場経済新聞 2014年6月16日
船場の三休橋筋にきらめく灯りー街並みにふさわしい念願の全55基のガス灯

三休橋筋商業協同組合事務局は6月3日、綿業会館(大阪市中央区備後町2)前で「ガス燈(とう)点灯式」を行った。
元経済企画庁長官で三休橋筋商業協同組合最高顧問を務める堺屋太一さんや柏木陸照大阪市中央区長ら来賓8人が2人一組になって同会館前の4本のガス灯に点火。前面道路は車両を通行止めにし、雨模様にもかかわらず見物客でにぎわった。地元にとっては長年の夢が現実になった瞬間でもあり、大正浪漫風楽団とモダンガールがお祝いムードに華を添えた。

 「大大阪時代」といわれたころの中心地である船場には名建築物や老舗名店が数多くあり、そのシンボル的なエリアである三休橋筋では2000年ごろから、魅力を発信して街づくりを進めようという有志が集まってきた。10年前の2004年3月9日午後3時9分、船場地区の6連合町会長が世話人となり三休橋筋発展会が設立。これを機に三休橋筋の具体的な街づくりが進んだという。このタイミングで大阪市が三休橋筋の街路整備を計画し、地域が積極的に同整備事業に参画協力してきた。三休橋筋の街路特化を図るため、「大大阪時代」のイメージを表現するガス灯の設置を目指していた。

 ガス灯のデザインは、世界的プロダクトデザイナーであり、現在、当三休橋筋商業協同組合の理事長でもある喜多俊之さんが手掛けた。全55基。



画像時事通信社 2014年6月9日
ガス灯に浮かぶ伝統の商都【大阪市三休橋筋】

大阪市のど真ん中、御堂筋と堺筋の中間にある三休橋筋。先週から55基のガス灯に灯が入り、古い商家や近代建築が残る長い南北の通りに伝統の商都の表情が浮かび上がった。

 ガス灯設置のきっかけは、大阪市建設局による「プロムナード整備事業」に指定されたこと。「せっかくの事業だから、特徴のある通りにしたい」という地元の声を受けガス灯の設置、電柱地中化が進められた。ガス燈は大阪ガスなど地元企業からの寄付で調達した。

 三休橋筋は中之島の中央公会堂から、南は本町通までの南北約1kmのビジネス街を貫通する。歌謡曲にも登場する御堂筋や堺筋は全国レベルでもその名を知られているが、その中間にある三休橋筋は「ビルの谷間の屋台のラーメン屋」的存在で知名度は大きく落ちる。しかし、狭い通りだけに船場文化の面影を残した歴史的建造物も点在する。

ガス灯は設置以来、道路工事などで55基すべての点灯が遅れていた。綿業会館前で開かれた3日夕の点灯式イベントでは、大阪B級グルメの代表「串かつ食べ放題・飲み放題」も用意された。点灯時間は午後7時から11時まで。アクセスは市営地下鉄御堂筋線本町、淀屋橋駅、堺筋線本町、北浜駅などが便利だ。



画像大阪日日新聞 2014年6月7日
街並み照らす「民の力」 レトロで人気、三休橋筋

大阪市中央区の船場地域中心部を南北に貫く三休橋筋。中央公会堂前の栴檀木橋(せんだんのきばし)から南へ延びるこの通りは、近代建築の綿業会館や街路樹、ガス灯などレトロな街並みを背景にレストランや居酒屋などおしゃれな店舗が増えつつあり「あこがれの三休橋筋に店を持てた」との声も上がる。人気スポットに成長した背景を探った。
■シンボル
3日午後7時、土佐堀通りから中央大通りまでの約1キロに配置されたガス灯55基が一斉にともされた。この日は三休橋筋商業協同組合が全点灯の実現を記念した「ガス燈点灯式」の挙行日だった。

 レトロな雰囲気を醸し出すガス灯は、世界的なプロダクトデザイナーである三休橋筋商業協同組合理事長の喜多俊之氏が、10年前に同顧問である堺屋太一氏の依頼を受けてデザインしたもので、喜多氏は「ガス灯は大大阪時代のシンボルであり、未来の大阪のシンボル」と胸を張った。

 ガス灯の点灯をめぐっては、大阪市が2005年に着手した電線の地中化、歩道の拡幅、街路樹の植樹など一連のプロムナード整備事業が11年に完了し、13年9月に電柱を完全撤去した経緯がある。



画像大阪日日新聞 2014年6月4日
大大阪の面影ほのか 三休橋筋・ガス灯点灯

大阪市中央区の船場地域を南北に貫く三休橋筋で3日、55基のガス灯が点灯され、近代建築などが立ち並ぶレトロな街並みをほのかな明かりが照らし出した。
三休橋筋商業協同組合が2005年から取り組んできたガス灯の全点灯が実現したことを記念する「ガス燈(とう)点灯式」で、関係者や住民が新たなまちの魅力の誕生を祝った。

 同区備後町2丁目の綿業会館前で行われた点灯式には、同組合顧問で作家の堺屋太一さん、同組合理事長でプロダクトデザイナーの喜多俊之さん、船場げんきの会世話人代表で大阪府立大学特別教授の橋爪紳也さんらが参列。喜多さんは「大大阪時代のシンボルであり、今後の大阪のシンボル。灯をともし続けていきたい」と語った。



画像日本経済新聞 2013年11月11日
大阪・船場再生へ ガス灯再点灯への思い

商都・大阪を支えた繊維業の中心地、船場(大阪市中央区)を南北に貫く「三休橋筋」を「歩きたくなる通りにしよう」と奮闘する人たちがいる。新たなシンボルとしてともしたガス灯は資金難から2年前に消えたが、10月末に再点灯にこぎつけた。ほのかな明かりは地元だけでなく、古き良き大阪の再生を見いだそうとする“よそ者”たちにも支えられている。

神戸出身で大学から30代半ばまで東京で働き、1990年代後半に船場の建築事務所に移った建築士の森山秀二(51)。繊維業が盛んだった時代に建てられた明治、大正期の近代建築が残る独特の街の匂いに親しみを感じていた。

 だが市内では景気悪化でシャッターを下ろす店舗が相次ぐ一方、高層ビル中心の再開発が進んでいた。「歴史を失ったままの街づくりは行き詰まる」。森山は都市開発の勉強会で一緒だった船場近くのゼネコンやインフラ会社に勤める仲間4人と同じ危機感を抱いていた。

 注目したのは市役所に通う際によく歩いた三休橋筋だ。沿道の近代建築が繊維業で栄えていた面影を残していたが人通りは少なかった。「戦前の『大(だい)大阪』と呼ばれた時代の誇り高い大阪らしさを発信できるのでは……」。2000年に仲間4人と「三休橋筋愛好会」を発足させた。

 同じころ、船場に本社を構える「辰野」の不動産事業に携わっていた岡本浩典(49)は頭を抱えていた。役員が取り組んでいた船場の活性化のため地元企業に協力を求めたが、会社が取引先の卸売業者は街に人を集める必要性を感じていなかったのだ。

 堺出身で小学校から大学まで福岡で過ごし、船場にはゆかりもなかった。だが三休橋筋の周辺の反応は違った。「やってみればいい」。岡本の熱意に即断即決した地区連合会長が世話人代表となり、04年3月、地元の町会長らで構成する「三休橋筋発展会」の発足に結びついた。

 建築士の森山など街づくりの専門家が集まる「愛好会」と、地元のメンバーが中心の「発展会」。岡本は「通りの名前を書いた銘板を作ったらどうかなどアイデアを出す愛好会と、行動に結びつける発展会の連携が市を動かした」と振り返る。

 市が乗り出した街路整備事業に関連して新たなシンボルとして「ガス灯を設置しよう」という声が発展会から上がった。愛好会がガス灯と街のイメージ図を作製するなどサポート。大阪ガスや民間団体の寄付事業などで55本の設置が実現した。

 ただガス灯は07年から約4年間点灯されたものの、電柱が残ったままでは意図した雰囲気とならず、1本当たり年間約4万円の維持費も負担できず、いったん消えた。

 今年10月末、電柱撤去が実現したことをきっかけに岡本が事務局を務める三休橋筋商業協同組合が会費から資金を出し、ガス灯は再びともった。とはいえ船場を象徴する綿業会館周辺など12本のみで、維持費のメドも来年4月までだ。

 「人が集まれば次の道が見えてくる。そのためにも行政、企業、地権者、そして“よそ者”の連携がカギ」と森山はいう。一歩ずつだが船場の活性化に向けて歩みを進める“よそ者”の森山と岡本らの模索は続いている。=敬称略、随時掲載(井沢真志)